自己啓発系の著書が多いように思われる茂木健一郎であるが、本書は題名はその流れながら、その系統の本ではない(出版社は、氏の「デビュー作」を出してくれた編集者が独立して作った会社だそうで、「恩返し本」のようである。そのためか、氏の「知名度の高い本」の題名を利用して売ろうとしているのだろうが、それはむしろ逆効果になっているかもしれない)。これは、氏のブログをまとめた本であるが、ありがちな、私生活、それも、一般の読者には縁のないような、「セレブな日々」を垂れ流しに綴ったものでもない。
いわば、日々の思考のエキスのようなものが、加工を加えず自然のままに綴られている。それゆえ、なにかのテーマのもと、全体を構築していくような文章ではない。意外にも詩的な言葉が美しく流れていく。
そのなかに、われわれがインスパイアされるものが多々ある。そこには氏の、フェアな姿勢が自ずと現れている。体系的な哲学書を読むような充実感はないが、頭を働かせるとっかかりにはなる。氏のルーティンに添うことによって、われわれ読書は、おのれのルーティンを計画できるのではないか。
文章には、人格のすべてが表れる。本書から窺われるのは、氏の謙虚で良心的な人柄であり、好奇心こそ宝という思想のベースである。
1日1日のブログを収録したものではあるが、日付はない。それだけでも、どこか爽やかだ。
山下晴代の批評版『百人一書』
最高の作というわけではないが、どこか気になる著者の一書を「ちょっと見てみる」
木曜日, 10月 14, 2010
水曜日, 10月 13, 2010
5 内田樹『街場のメディア論』(光文社新書)
本書で言われてることは、「しごくもっともな」ことである。さすが、人気の書き手、「メディアの寵児」である。しかし、これは、「大学の先生」の論理である。ということは、若い学生には、大変ためになるかもしれない。しかし、いいおとなが、それも、なにか知的思考をしようとするおとなが読むのに値するかどうか? 電子書籍に対する、紙の書籍の擁護に、書棚の見栄効果をあげているが、だいたい、見栄で、「書籍を配架する」(内田樹は、タメ語調のエクリチュールに、さりげなく、こうした漢語を混じらせ、「くだけている」が、「知的権威」でもある著作家を演出しているようにも見える(笑))などは、おもしろいパフォーマンスではあるが、現実問題としては時間の無駄である。
なるほど、内田樹の論調は面白く、「(こころよく)辛口」であるが、私は、氏を、高橋源一郎、橋本治とともに、日本出版界の3大啓蒙家と呼んでいるが(笑)、結局、読ませる芸はある。しかし、ほんとうのところ、これらの人たちは、「自分のことにしか関心がない」ということを、読者は心得たうえで、ファンになるならなればいい。
読者は、本書を読みながら、果たして、自分はこういう世界に生きているのか、胸に手をあてて考えてみられるといいと思う。
内田氏は、ネット上の氏の書き物に対して著作権フリーを宣言しているが、こういう行為は、いかにもかっこいい。だが、実は、10年前にもそういう文筆家はいた。「革命」はいいが、もしかしたら、世間的には、「はた迷惑」かもしれない。ほんとうに、メディアを批判するなら、まず、メディアからの仕事はすべてお断りになることですな。しかし、なんで、「街場」なんですか? ただの「メディア論」じゃ、いけないんですか?
火曜日, 3月 14, 2006
4穂村弘『本当はちがうんだ日記』(集英社、2005年6月刊)
この著者も、1962年生まれで、以下の三人と同様、「60年代生まれの男性」である。おもしろそうと手に取ってみる本が、たいていこの年代の男性の本 な のである。まあ、活躍している年代ということでもあろうか。しかし、読んでみると、途中で辟易してくる。日常と、自分の意識との齟齬、もっと言えば、自意 識の表と裏を「正直に」綴ってみせたエッセイで、こんなふうに、はみ出した気持ちになっていたのは、自分だけではないんだ、と「共感を覚える」のだが、あ んまり、いい年して、「女の子といちゃついて」いる「日常」など書かれたら、いくら「エッセイはフィクションでもいい」、いや、「エッセイこそフィクショ ンだ」とはいえ、その「ココロザシ」に疑問を呈してくる。
オマケとして、歌集『ラインマーカーズ』(小学館、2003年6月刊)。
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
この歌から穂村に入門した私だが(さしずめ、この歌など、いまどきは、名前を入れ替えて使われていそうであるが(笑))、
愚かなかみなりみたいに愛してやるよジンジャーエールに痺れた舌で
とか、
キスに眼を閉じないなんてまさかおまえ天使に魂を売ったのか?
などという雰囲気の歌が中心となるところに引き込まれると、大胆な性描写で有名な女性俳人や歌人なども思い出されて、まあ俳人とか歌人とか、文章の芸術が短い形式になると、それだけ、大胆にやりたくなるのだろうか? 「真実」でないにしても……と思ってしまう。
歌人というのは、塚本邦雄にしろ、寺山修司にしろ、読んでいるとうっとうしくなるが、この穂村弘も、同様なのであった……。
オマケとして、歌集『ラインマーカーズ』(小学館、2003年6月刊)。
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
この歌から穂村に入門した私だが(さしずめ、この歌など、いまどきは、名前を入れ替えて使われていそうであるが(笑))、
愚かなかみなりみたいに愛してやるよジンジャーエールに痺れた舌で
とか、
キスに眼を閉じないなんてまさかおまえ天使に魂を売ったのか?
などという雰囲気の歌が中心となるところに引き込まれると、大胆な性描写で有名な女性俳人や歌人なども思い出されて、まあ俳人とか歌人とか、文章の芸術が短い形式になると、それだけ、大胆にやりたくなるのだろうか? 「真実」でないにしても……と思ってしまう。
歌人というのは、塚本邦雄にしろ、寺山修司にしろ、読んでいるとうっとうしくなるが、この穂村弘も、同様なのであった……。
金曜日, 12月 24, 2004
3福田和也『ひと月百冊読み、三百冊書く私の方法』(PHP文庫、2004年7月刊)
福田和也というのは、ほんとうは、「仏文学者」なのであった___。
で、この人、なんで「右翼」って、言われてるんだろう? って思ったけど、「正式に」「右翼」と紹介されていた記事というのは記憶にない。ないのに、なぜか、「右翼」と「思われている」と確信している。
なぜ「右翼」と「思われて」いるかと言えば、この人、若いのに(なぜか、この人も、すでに書いた二人とほぼ同じ世代(斎藤とは同じ1960年生まれ)なの であ る)、徹底した「コンサバ」趣味なのである。まず、なにが「コンサバ」って、万年筆である。「モンブランの軸のもっとも太い、マイスターシュトゥックの細 字」。下世話なハナシ、これって、お幾らぐらいするんでしょう? なんだか、私もほしくなって、デパートや、文具店のモンブランのケースを覗いたが……も しかして、十万円以上はします? で、即、ケースを離れた。……ワタシには、カンケイない……(笑)。で、「取材」その他は、竹村健一ではないが、「これ だけ手帖」のような一冊の手帖のみ、だそうである。しかし、その手帖カバーが、また、「ブランドもの」なのである。
本書では、福田和也氏が、いかにエネルギッシュに本を読み、執筆しているかが、紹介されているが、途中、どーでもいい「趣味」の寄り道もあり、斎藤孝の書き方からすれば、それだけですでに、「段取り力」不足(笑)である。
で、結局、福田クンって、どうよ? なんだけど、真面目なおフランス文学者が、文筆の道で食っていくにあたって、フツーに仏文学やっていたのでは、他にライバルはいっぱいなので、主にビジネス系のルポライターをやっている、って、そういうことがわかる本である。
本書を読んで、「月に百冊読んで、三百枚書ける」ようになるかは定かでない。だって、ご本人だって、正確には、読んでないような気がするんだもの。
で、この人、なんで「右翼」って、言われてるんだろう? って思ったけど、「正式に」「右翼」と紹介されていた記事というのは記憶にない。ないのに、なぜか、「右翼」と「思われている」と確信している。
なぜ「右翼」と「思われて」いるかと言えば、この人、若いのに(なぜか、この人も、すでに書いた二人とほぼ同じ世代(斎藤とは同じ1960年生まれ)なの であ る)、徹底した「コンサバ」趣味なのである。まず、なにが「コンサバ」って、万年筆である。「モンブランの軸のもっとも太い、マイスターシュトゥックの細 字」。下世話なハナシ、これって、お幾らぐらいするんでしょう? なんだか、私もほしくなって、デパートや、文具店のモンブランのケースを覗いたが……も しかして、十万円以上はします? で、即、ケースを離れた。……ワタシには、カンケイない……(笑)。で、「取材」その他は、竹村健一ではないが、「これ だけ手帖」のような一冊の手帖のみ、だそうである。しかし、その手帖カバーが、また、「ブランドもの」なのである。
本書では、福田和也氏が、いかにエネルギッシュに本を読み、執筆しているかが、紹介されているが、途中、どーでもいい「趣味」の寄り道もあり、斎藤孝の書き方からすれば、それだけですでに、「段取り力」不足(笑)である。
で、結局、福田クンって、どうよ? なんだけど、真面目なおフランス文学者が、文筆の道で食っていくにあたって、フツーに仏文学やっていたのでは、他にライバルはいっぱいなので、主にビジネス系のルポライターをやっている、って、そういうことがわかる本である。
本書を読んで、「月に百冊読んで、三百枚書ける」ようになるかは定かでない。だって、ご本人だって、正確には、読んでないような気がするんだもの。
土曜日, 11月 20, 2004
2斎藤孝『生き方のスタイルを磨く』(NHKブックス、2004年6月刊)
その小谷野は、『評論家入門』で、さりげなく斎藤孝にも言及している。同工異曲で儲けている書き手と言いたいのだろう。斎藤孝は1960年生まれで、小谷 野 より二歳上だが、同じ東京大学を出ている。それで、小谷野も意識しているのだと思う。しかし、斎藤はと言えば、問題にもしていないだろう。というか、斎藤 の方法論やテーマに、「評論家」あるいは、「書き手」としての小谷野は入って来ない。
確かに、斎藤は、同じようなテーマ、題材で、本を出しまくっている。
しかし、氏の学にアプローチする方法論は非常に面白いし、明確である。
本書は、癖をいかに、スタイルに昇華させていくかの、方法論であり、そのための文学作品分析が、すぐれた作品論にもなっている。
谷崎も太宰も、あまりポピュラーでない作品を引いて、読んでもみようという気にもさせる。
60年代生まれの書き手である、小谷野と斎藤は、「失敗例」と「成功例」のようでもある。う〜〜〜ん……なにが、二人を隔てているのか?
確かに、斎藤は、同じようなテーマ、題材で、本を出しまくっている。
しかし、氏の学にアプローチする方法論は非常に面白いし、明確である。
本書は、癖をいかに、スタイルに昇華させていくかの、方法論であり、そのための文学作品分析が、すぐれた作品論にもなっている。
谷崎も太宰も、あまりポピュラーでない作品を引いて、読んでもみようという気にもさせる。
60年代生まれの書き手である、小谷野と斎藤は、「失敗例」と「成功例」のようでもある。う〜〜〜ん……なにが、二人を隔てているのか?
1小谷野敦『評論家入門』(平凡社新書、2004年、11月刊)
小谷野敦は、なかなか正直な人間だと思うが、アタマが固い。小林秀雄が「非論理」だなどということは、数十年前の普通の人だって言っていた。フェアな人間だとも思うが、ソシュールもデリダも向こうに回して戦う姿勢は、あんまりクールではない。
アメリカ映画だったら、こんなふうに言われるだろう。
「彼女でも見つけろよ」。
私は氏のヒット作、『もてない男』を読んでないが、どうも、もてないことが、氏の思想にかなり影響しているような気がしないでもない。
柄谷行人は、「ニューアカ」ブームに便乗して有名になった、という認識は、氏が、私よりおよそ十歳下の60年代生まれだから、しかたないと言うべきか。
70年代の吉本さんちの『試行』も、中日(東京)新聞「大波小波」(今は、まったく低レベルになっているが)も知らないか。
アメリカ映画だったら、こんなふうに言われるだろう。
「彼女でも見つけろよ」。
私は氏のヒット作、『もてない男』を読んでないが、どうも、もてないことが、氏の思想にかなり影響しているような気がしないでもない。
柄谷行人は、「ニューアカ」ブームに便乗して有名になった、という認識は、氏が、私よりおよそ十歳下の60年代生まれだから、しかたないと言うべきか。
70年代の吉本さんちの『試行』も、中日(東京)新聞「大波小波」(今は、まったく低レベルになっているが)も知らないか。
木曜日, 11月 18, 2004
blog的
「ひろゆき」もすなるブログといふものを、われもしてみむ、とて、するなり。
ブラウザのデフォルトに指定しているWeb版Le Mondeの、ジャーナリストのブログあり。ファルージャ日記なり。血の流れたる兵士、人民たちの写真多々あり。
いとなまめかしきなり。
戦争とは、なによりも即物なり。
ブラウザのデフォルトに指定しているWeb版Le Mondeの、ジャーナリストのブログあり。ファルージャ日記なり。血の流れたる兵士、人民たちの写真多々あり。
いとなまめかしきなり。
戦争とは、なによりも即物なり。
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