金曜日, 12月 24, 2004

3福田和也『ひと月百冊読み、三百冊書く私の方法』(PHP文庫、2004年7月刊)

 福田和也というのは、ほんとうは、「仏文学者」なのであった___。
で、この人、なんで「右翼」って、言われてるんだろう? って思ったけど、「正式に」「右翼」と紹介されていた記事というのは記憶にない。ないのに、なぜか、「右翼」と「思われている」と確信している。
  なぜ「右翼」と「思われて」いるかと言えば、この人、若いのに(なぜか、この人も、すでに書いた二人とほぼ同じ世代(斎藤とは同じ1960年生まれ)なの であ る)、徹底した「コンサバ」趣味なのである。まず、なにが「コンサバ」って、万年筆である。「モンブランの軸のもっとも太い、マイスターシュトゥックの細 字」。下世話なハナシ、これって、お幾らぐらいするんでしょう? なんだか、私もほしくなって、デパートや、文具店のモンブランのケースを覗いたが……も しかして、十万円以上はします? で、即、ケースを離れた。……ワタシには、カンケイない……(笑)。で、「取材」その他は、竹村健一ではないが、「これ だけ手帖」のような一冊の手帖のみ、だそうである。しかし、その手帖カバーが、また、「ブランドもの」なのである。
 本書では、福田和也氏が、いかにエネルギッシュに本を読み、執筆しているかが、紹介されているが、途中、どーでもいい「趣味」の寄り道もあり、斎藤孝の書き方からすれば、それだけですでに、「段取り力」不足(笑)である。
 で、結局、福田クンって、どうよ? なんだけど、真面目なおフランス文学者が、文筆の道で食っていくにあたって、フツーに仏文学やっていたのでは、他にライバルはいっぱいなので、主にビジネス系のルポライターをやっている、って、そういうことがわかる本である。
 本書を読んで、「月に百冊読んで、三百枚書ける」ようになるかは定かでない。だって、ご本人だって、正確には、読んでないような気がするんだもの。

土曜日, 11月 20, 2004

2斎藤孝『生き方のスタイルを磨く』(NHKブックス、2004年6月刊)

 その小谷野は、『評論家入門』で、さりげなく斎藤孝にも言及している。同工異曲で儲けている書き手と言いたいのだろう。斎藤孝は1960年生まれで、小谷 野 より二歳上だが、同じ東京大学を出ている。それで、小谷野も意識しているのだと思う。しかし、斎藤はと言えば、問題にもしていないだろう。というか、斎藤 の方法論やテーマに、「評論家」あるいは、「書き手」としての小谷野は入って来ない。
確かに、斎藤は、同じようなテーマ、題材で、本を出しまくっている。
 しかし、氏の学にアプローチする方法論は非常に面白いし、明確である。
本書は、癖をいかに、スタイルに昇華させていくかの、方法論であり、そのための文学作品分析が、すぐれた作品論にもなっている。
谷崎も太宰も、あまりポピュラーでない作品を引いて、読んでもみようという気にもさせる。
60年代生まれの書き手である、小谷野と斎藤は、「失敗例」と「成功例」のようでもある。う〜〜〜ん……なにが、二人を隔てているのか?

1小谷野敦『評論家入門』(平凡社新書、2004年、11月刊)

 小谷野敦は、なかなか正直な人間だと思うが、アタマが固い。小林秀雄が「非論理」だなどということは、数十年前の普通の人だって言っていた。フェアな人間だとも思うが、ソシュールもデリダも向こうに回して戦う姿勢は、あんまりクールではない。
アメリカ映画だったら、こんなふうに言われるだろう。
「彼女でも見つけろよ」。
 私は氏のヒット作、『もてない男』を読んでないが、どうも、もてないことが、氏の思想にかなり影響しているような気がしないでもない。
柄谷行人は、「ニューアカ」ブームに便乗して有名になった、という認識は、氏が、私よりおよそ十歳下の60年代生まれだから、しかたないと言うべきか。
70年代の吉本さんちの『試行』も、中日(東京)新聞「大波小波」(今は、まったく低レベルになっているが)も知らないか。

木曜日, 11月 18, 2004

blog的

「ひろゆき」もすなるブログといふものを、われもしてみむ、とて、するなり。
ブラウザのデフォルトに指定しているWeb版Le Mondeの、ジャーナリストのブログあり。ファルージャ日記なり。血の流れたる兵士、人民たちの写真多々あり。
いとなまめかしきなり。
戦争とは、なによりも即物なり。